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福岡高等裁判所 昭和36年(ネ)485号 判決

判  決

控訴人(附帯被控訴人)

右代表者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人福岡法務局訟務部付検事

中村盛雄

同福岡法務局法務事務官

芹野義信

豊前市大字梶屋一〇四番地

被控訴人(附帯控訴人)

馬場薫

右訴訟代理人弁護士

清源敏孝

右当事者間の昭和三五年(ネ)第五八五号損害賠償請求控訴事件並びに昭和三六年(ネ)第四八五号同附帯控訴事件につき当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原判決を次のごとく変更する。

控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し金三八万五〇八一円及びこれに対する昭和三二年五月二三日より完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

被控訴人(附帯控訴人)のその余の請求を棄却する。

被控訴人の附帯控訴を棄却する。

訴訟費用(附帯控訴費用を含む)は、第一、二審を通じて二分し、被控訴人(附帯控訴人)、控訴人(附帯被控訴人)が各一を負担する。

事  実<省略>

理由

一、まず被控訴人が昭和三一年四月一九日大分地方裁判所中津支部において業務上横領罪により懲役一年六月の判決言渡をうけ、その頃控訴をしたがこれを取下げ、右判決の確定により福岡市西新町藤崎八〇七番地の福岡刑務所に入所し服役していたこと、同年五月頃同刑務所第一五工場における作業を命ぜられ、該工場内に設置された脱水機二台を使用して洗濯物の脱水作業に従事していたこと及び同年七月三日午前八時三〇分頃被控訴人が右作業に従事中右二台中の一台たる本件脱水機に右腕を捲きこまれて負傷し、その結果、右上膊部の中央部より切断するに至つたことは当事者間に争がない。

二、次に(証拠)を綜合するとき左の事実を認定することができる。

(一)  本件脱水機は株式会社アサヒ製作所により昭和二九年三月製作され、同年四月一〇日福岡刑務所の前記工場に固定して据え付けられたものであるが、その後、脱水機のブレーキが度々折損し、その都度修理されてはいたものの同年一〇月頃に折損したのを最後に、その後は修理されず、従つてブレーキのないまま使用されてきた。

(二)  ところで本件脱水機の回転については工場の窓際の柱に備えてある動力用電源スイッチを入れるとワッシャー機(洗濯機)と脱水機の中間上のプーリー(調車)が回転し、従つてそのベルトが回転するので、ベルト切換機(ハンドル)を向つて左側に切換えると、ベルトも左側に移転し、フリクションプーリーよりガイドプーリーを経て主軸プーリーに伝導され、脱水機が回転するところ、これを停止せしめるには前記スイッチを切るか、或はベルト切換機を右側に切換えた上、ベルトを動車より遊車に切換えて効力源を断つた後自然停止を待つかであるが、殆んどスイッチを切る方法はとられていなかつた。

ベルト切換機を右に切換えると脱水機はなお惰力により回転しても約二分ないし三分にして停止するが、右切換をした後ブレーキの備付があつて、これを足で踏むとブレーキは脱水機内部の回転部分たるバスケットの回転の停止を早めるため約一二秒ないし二〇秒にして停止するのであつた。

(三)  本件脱水機には、当時ブレーキの備付がなかつたため、前記のごとくベルトを動車より遊車に切換えて自然停止を待つとすると、停止時間が長びき作業能率が低下するので、被控訴人を含む受刑者作業員は能率を上げるために従来より右の切換後、バスケットの回転が緩くなつた際、雑布をもつてバスケットの縁を押え、或は握る等の動作により圧力を加え、約一分で停止せしめていたのであつて被控訴人も前任者からの申し伝えに従つて同様の取扱をなし、看守達も半ばこれを容認していた。

しかし、この取扱は次に述べるような事情もあつて危険であるので、被控訴人は本件事故発生当時の第一五工場の看守等にブレーキを取付けてもらいたい旨、申し出ていたが、看守等よりは特に危険であるから取扱を慎重にするように注意されたにとどまり、脱水機は結局修理されないままであつた。

(四)  なお本件事故発生当時脱水機の主軸下部軸受部分が磨滅損耗しておりそのため回転の始めと終りにはバスケットはかなり激しく不安定な動揺を示し、また上枠を固定させてある三個のナットのうち二個も緩んでいたことと相俟つてバスケットと上枠との間に瞬間的に七ないし八センチメートルの広い間隙(静止中におけるバスケットと上枠との間は約五センチメートル)をつくることもあつた。

(五)  ところで、本件事故の発生した昭和三一年七月三日の午前中は雨模様の天候で洗濯作業はなかつたが、被控訴人は前日の洗濯物で脱水未了の分について本件脱水機により脱水作業に従事していたが第五回目位の作業で脱水機を停止させるために上方のプーリーから導かれてあるベルトを一応動車から遊車に切換えた後、従来の例に従いその停止を早めるべく、右手に持つた雑布でバスケットの縁を握つたときにバスケットが大きく振動し、これと上控との間に生じた間隙に右腕を捲きこまれて受傷をした。

以上のように認定することができるのであつて、(中略)他に右の認定を覆すに足りる明確な証拠はないのである。

三、ところで国が刑罰権行使の目的のために設置した建物たる刑務所の工場内に設置された本件脱水機は、国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」に該当すると解すべきところ、以上の認定した事実によれば、本件脱水機についてはブレーキの欠損、主軸下部軸受部分の磨滅損耗等のごとく、その維持、修繕等に不完全の点があつてこれがため脱水機自体が通常、具備すべき安全性を欠く状態にあつたのであり、即ち「公の営造物の管理に瑕疵があつた」こと、また右のごとき瑕疵がなければ、前記事故は発生しなかつた筈であるから、右事故は本件脱水機についてブレーキを欠いていたこと、主軸下部軸受部分が磨滅損耗していたことにもとずくもの、換言すれば本件事故の原因は右のごとき瑕疵があつた点にあるといわなければならない。さすれば、控訴人たる国は国家賠償法二条によつて損害賠償の責に任ずべきものである。

四、控訴人は本件受傷は専ら被控訴人の過失にもとずくものであつて、本件脱水機の構造、機能とは関係がないと主張するが、前段認定に供した各証拠並びに右認定事実に徴し、本件事故が専ら被控訴人の過失のみによるものとは認め難い。しかし、(証拠)を綜合すれば前示のごとく被控訴人は事故の発生したとき本件脱水機により脱水作業に従事していたのであるが、事故の直前には脱水機を背にして工場内の前方で補綴作業をしていた洗濯工の受刑者たる訴外佐藤幸吉と視線を交わして互に笑つていたが、やがて脱水機の方に振向き、間もなく被控訴人は脱水機に右腕を捲きこまれたこと、被控訴人が倒れる音を聞いて同工場主任の看守たる訴外鬼崎将、同佐藤幸吉等が駈けつけたとき脱水機のバスケットは相当の速度で回転していたので、鬼崎の指示によりスイッチが切られてバスケットの回転が漸く止んだことを認定することができ、これに反する原審における被控訴本人尋問の結果は措信できない。

右事実に加えて原審証人(省略)の各証言によれば、従来被控訴人以外の多数の者が本件脱水機を操作してきたのにもかかわらず、一度も事故は生じなかつたことが明かであるから、これ等の事実より推すと、被控訴人は脱水機の回転を停止させるためにベルト切換機を右に切換えた後、未だバスケットの回転速度が早くて雑布をもつてバスケットを停止させることの困難な場合に漫然として右手に持つた雑布でバスケットの縁を握つたときに右腕を脱水機の上枠とバスケットとの間に捲きこまれて負傷をしたものと推断するを相当としよう。

右の場合、被控訴人がバスケットの回転速度が遅くなり、安全な頃を見計つて徐々にこれを止めようとしたならば、本件事故は起らなかつたであろうし、かくすることが脱水機の操作者として果すべき注意義務である。従つて、被控訴人には過失があつたものというべきである。

三、思うに、本件事故は営造物たる本件脱水機の管理に瑕疵があつたために生じたものであることは既述のとおりであり、被控訴人は右原因のもとに自ら本件事故を惹起せしめたものであるが、脱水機の管理の瑕疵と本件事故との間の因果関係は被控訴人の所為によつて中断されたのではなく、被控訴人の前示過失は右原因にもとずく結果の発生に対して競合したものといわなければならない。(国家賠償法四条により被控訴人の過失につき民法七二二条二項の過失相殺が適用されることは明らかである)。そして本件事故の根本原因は、本件脱水機の前示瑕疵にあることは既述のとおりであるから、控訴人は本件損害賠償の責を負うべきものであるが、被控訴人の前示過失もこれに相当程度において競合したものとして損害の一定部分を分担すべきものであり、右分担の割合は有責の程度によらなければならない。そして被控訴人の前示不注意は自ら危険を造り上げ、且つこれに近ずいたとも解されるから、同人の責任は相当に重いというべく、これ等の経過を勘案すれば同人の過失によつて分担すべきものは全額の三分の二程度となすを相当とする。そして右の割合は本件慰藉料の請求についてもこれを考慮すべきである。

六、そこで進んで被控訴人の蒙つた損害額について考えよう。

(一)  財産的損害については、まず(イ)被控訴人はその田畑を同人及び妻の和子両名で耕作し一ケ年純益金三〇万円を得ていたので、その二分の一である一五万円は被控訴人の労働による収益であつたところ、同人は本件受傷により労働力は半減し、これを他より補充する必要を生じ、その労賃が一ケ年金七万五〇〇〇円の割合で損害となるところ、被控訴人は本訴提起の時である昭和三二年五月一〇日から、なお向う二四、七一年間生存するものとして右損害金の合計を請求するというので検討を加える。

(証拠)、を綜合するとき、被控訴人は昭和三一年四月一九日大分地方裁判所中津支部において業務上横領罪により懲役一年六月の判決言渡をうけて、その頃福岡刑務所に入り服役したことは前示のとおりであるが、被控訴人は昭和三二年三月頃福岡刑務所を出所したこと、被控訴人は受刑前には殆んど他の者を雇わず、妻と共に田九反二八歩、畑一反二畝一九歩(これらの所有名義は被控訴人の亡父母、妻、弟になつているけれども、実質上は被控訴人の所有であつた)を耕作していたが、本件受傷により労働力は殆んど半減し、被控訴人は草とり、肥料運搬等のみをなしうるにすぎず、田鋤、稲刈、麦刈等の作業には従事することができないので、被控訴人の労働力を補うために他より労力をうることを余儀なくされ、その労賃として昭和三四年度に人夫賃八万八六〇〇円、田鋤賃金三万円、苗代の作業費三〇〇〇円計一二万一六〇〇円、昭和三五年度に人夫賃八万七〇〇〇円、田鋤賃金三万円、苗代の作業費三〇〇〇円計一二万円、昭和三六年度の一月より一〇月までの間において人夫賃七万一〇〇円、田鋤賃金三万円、苗代の作業費三〇〇〇円計一〇万三一〇〇円の支出をなしたこと、被控訴人方の農業上の収入は一年間凡そ三〇万円でこの中より前記の労賃を支出していたことを認定することができる。

以上の事実に徴すれば、被控訴人主張のごとく同人夫妻で田畑を耕作し、年間の純益金三〇万円を得ていたので少くとも二分の一である一五万円は被控訴人の労働による収益であつたところ、同人の本件受傷により労働力が減少し、これを補うため昭和三四年度に一二万一六〇〇円、昭和三五年度に一二万円、昭和三六年の一月から一〇月までの間において一〇万三一〇〇円の支出をしたのであるから、一年間の労賃に対する支出は平均一二万円であると考えて大差なくそして特別の事情がない限り昭和三二年度(この年度は被控訴人が刑務所を出て帰郷したことの明かな昭和三二年四月より一二月まで九ケ月分で、金一二万円の一二分の九、即ち四分の三の割合によるもの)及び昭和三三年度も右と同額の一二万円の支出を要し、且つ将来も毎年同額の支出を要するものと推認するのが相当である。

(ロ) 次に控訴人は農繁期以外に他の仕事に従事して前記農業収入のほか一ケ月約二万円、年額にして約二四万円を収得していたところ本件受傷によりその労働力を半減したので一ケ年の収入において金一二万円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を蒙つた旨主張し当審証人馬場和子の証言及び当審における被控訴本人尋問の結果によれば、被控訴人が本件受傷の以前に他人のために田鋤、脱穀等をなしていたことが認められないではないけれども、これを原審証人馬場和子の証言と対比するとき、右のごとく被控訴人が他人のために田鍬等をなしたときは、その他人も被控訴人の田等を田鍬きし、これに対して被控訴人は賃金を支払わなかつたことが窺えるのであるから、前記のごとく被控訴人が農繁期以外に他人のために田鍬等をしていたとの事実があつたにしても、直ちに所論のごとき収入があり、従つて得べかりし利益の喪失があつたとの証左とすることはできないし、他にこれを認めるに足る明確な証拠はないのである。

また(証拠)を綜合すれば、被控訴人は前記受刑前の昭和二九年四月一〇日より昭和三〇年一二月二五日まで訴外中津文具株式会社に勤務し、午前中は被控訴人の自宅で農業を営み、午後一時より午後八時まで同会社の文具販売及び集金に従事し、その月収として二万四〇〇〇円を得ていたことが認められるが、(証拠)によれば、被控訴人は右会社に勤務中にその集金の使込みにより前記のごとく業務上横領罪として処罰されたものであつて、昭和三〇年一二月二五日をもつて右会社を退職した後は、他に就職した形跡は見当らないのみならず、刑務所を出所した後には、被控訴人としては右のような就職をする意思はなかつたことが窺えるから、前記金額をもつて直ちに将来得べかりし利益ということはできず、従つてこの点に関する被控訴人の請求は失当である。

(ハ) 他方、(証拠)によれば、被控訴人は福岡刑務所を出所後は他に勤めず、帰郷した昭和三二年四月頃より凡そ五年間に約三〇日に亘り土木工事の現場監督として稼働し、日収は八〇〇円であつたこと、また昭和三三年頃より仕事を初めた養豚により年間約一二頭の子豚を儲けて計六万円で販売していたことが明かであるから、前者については一年間に約六日計四八〇〇円の収入があり、後者については少くとも販売代金の三分の一の収益があるものと解して(当裁判所に顕著な事実である)、年間二万円の収益があるものというべく、将来も毎年同額の収入があるものと解されるのであり、他に右の認定を覆すに足りる証拠はない。

かくて被控訴人は金一五万円の年収が本件受傷により、右金員から労賃一二万円を控除した三万円の年収に減じ、一年間に凡そ一二万円の利益を喪失するが前記の現場監督及び養豚による年収合計二万四八〇〇円があるので、これを一二万円より控除した金額、即ち年間九万五二〇〇円の得べかりし利益を喪失する計算となるのであるが、被控訴人はこの額以下の年間七万五〇〇〇円による損害賠償金を請求している以上、この請求額は正当と解しなければならない。

そして(証拠)によれば被控訴人は明治四三年二月一八日生の男子であつて、本件事故発生当時は満四六年であることが認められ、なお本訴提起のときである昭和三二年五月一〇日当時は満四七年二月二三日であつて、このときよりの平均余命年数は二三、九〇年であるが、(厚生省統計調査部作成の第九回生命表の修正表参照)、前示田畑に対する被控訴人の農業労働可能年数は被控訴人が凡そ六五年頃に達する頃までの期間であることは当裁判所に顕著な事実であるから、本件受傷がなければ前示昭和三二年五月一〇日より凡そ一八年間は農耕に従事しえたものと解するのを相当とすべく、結局被控訴人が本件受傷により年間金七万五〇〇〇円の得べかりし利益を喪失するとして、一八年間の合計金額をホフマン式計算法で中間利息年五分を差し引き前記本訴提起当時における一時払額に換算すると九四万五二四四円となることは計算上明らかである。そして前示のごとく被控訴人がその過失によつて分担すべきものは金額の三分の二であるから、被控訴人の控訴人に対する損害賠償請求金は、要するにその三分の一たる三一万五〇八一円であるといわなければならないところ、被控訴人は本件受傷当時、福岡刑務所の刑務官会議の議により災害補償費として国から三万円を支給されていることは当事者間に争がないのであるから、これを控除すれば被控訴人が控訴人に対して請求しうる金額は二八万五〇八一円となるのである。

(ニ) 次に被控訴人が本件受傷によつて精神上多大の苦痛を蒙つたことはいうまでもなく明らかでああるから、その慰藉料の額について考えると、(証拠)を綜合するときは、被控訴人は右上膊部の凡そ中央部より切断されて、多大の痛苦をうけ、今後も不具者となつて余生を送らねばならないこと、家族としては妻和子のほかに長女(昭和一七年二月二八日生)、長男(昭和二六年二月一七日生)、二女(昭和二九年一〇月一日生)があるが、資産としては前示のごとく田九反二八歩、畑一反二畝一九歩を実質上所有するほか約一〇〇万円相当の家屋敷及び農機具等を所有していることが認められ、これに前記の被控訴人における過失等諸般の事情を斟酌するとき金一〇万円をもつて相当と認める。

七、以上の理由により控訴人は被控訴人に対し財産上及び精神上の損害として合計三八万五〇八一円を賠償すべき義務があることになるから、被控訴人の本訴請求は右金員及びこれに対する本件訴状が控訴人に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和三二年五月二三日より完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の限度をもつて認容すべく、原判決はこれと符合しないのでこれを右のごとく変更し、被控訴人のその余の請求及び被控訴人の附帯控訴を棄却し、訴訟費用(附帯控訴費用を含む)の負担につき民事訴訟法八九条、九六条、九五条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

福岡高等裁判所第四民事部

裁判長裁判官 相 島 一 之

裁判官 池 畑 祐 治

裁判官 藤 野 英 一

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